暇な日曜を過ごす自分と宗教の根源との偉大で知的で無価値でアヒャな関連性について

生命はただ生きるために生きている。それ自体は盲目的な、自目的的なものである。自然界では、生命といえども他の無機物と同じように使い捨てられ、殺し殺され、他の生命の栄養となり他の生命を栄養としている。人間の精神が発展し、新たな社会を創造する過程で、人類は様々な周辺環境にそれぞれの価値を見出し尊重し始めた。宗教の誕生である。また人間は盲目であることを本能的に回避したがるがゆえに人生の目的をも見出そうとし、生命や人生の価値や存在意義を何も無い所から編み出していったのだった。その根拠付けには絶対的なもの、すなわち「神」を生み出し崇め、彼にその根拠と原因の全てを帰することで行われた。そして、多くの民族がこのような観念を期せずして獲得したということは、このような観念それ自体が人類にとって生物間生存競争を生き抜くために必要なものであったのではないか、ということもできるだろう。

しかし我々人類は新しい段階に達している。ヴォルテールやニーチェは神を効果的に殺してしまった。資本主義の発展によって全てのものの価値は金に換算され表現されるようになった。あらゆる人間の行動原理は生産性や経済性に基礎付けられるようになった。そして、子孫を残すことすら今や「将来の生活不安」という経済合理性によって比較検討される事態となっている。

少子化という問題はこのような背景をもっているので、先進国においてはどこでも同じように起こっている普遍的な問題である。国力の低下や社会の世代間相互扶助機能の低下という副次的な問題も生じるためにより複雑な議論が飽きることなく続いているが、この大きな流れを止めるには人類史に残るような転換を待つしかないのであろうか。



んなこと30歳独身のお前が言うなって? そうですかそうですか。アヒャ
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by reko_pietro_msx | 2005-03-06 16:13 | 政治
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