にちゃんねる論(1)

にちゃんねるとはなんだろうか?

毎日にちゃんねるで遊ばせてもらってる人間が正当なにちゃん評論を為しえるか、などという観念的議論は私の意図するところではない。私にとって重要と思えるのは、より表象的で動的な側面であり、「何が原因なのか」ではなく「何がどうしたのか」もしくは「何がどうなるのか」なのである。なぜなら、にちゃんねるはたくさんの人々が集う憩いの場であり、その使われ方は全く利用者(達)の(集団)心理にかかっているのであるから。フランスのカフェに集った進歩的知識人たちは革命の思想に酔い、アテナイの広場に集った者たちはソフィストの言説に酔いまたソクラテスにその酔いを醒まされた事だろう。大学の講堂を占拠した者達は一部の弁舌巧みな同じ学生に導かれるようにバリケードを死守しようとしたことだろう。にちゃんねるを語るときにいつも付いて回る概念―――「自由」というあまりに陳腐な、茫漠とした観念に議論を絡み捕られてしまうのを誰もが経験するのであるが、これは議論の墓場であり、観念の連鎖の終結であり、思想の敗北なのである。



って、ブログってこんな感じでいいんですかね???
まあ、にちゃんを語るにはν速を見とけってこった(プゲラウヒョー
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by reko_pietro_msx | 2004-12-18 03:24 | にちゃんねる
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