言葉と人間の不幸な関係

言葉が人間によって発明されたものの中で最も有益で偉大なものであることに異を唱えるものはいないであろう。人類は我々を取り巻くあらゆる事物や事象に名前を付け、これらの間に即物的あるいは抽象的な関係を見出し、隠された自然の秘密を明らかにしてきた。また人間の行動や感性、思考そのものにも様々な差異を見出すことで、人類独自の価値基準を打ちたて、倫理的な行動規範を確立し、自らの社会や文化を発展させてきた。これによって人類は他の動物とは全く異なる文明社会を形成することに成功したのである。

ところが、このような言葉同士の関係性を深く追求する人間の性質が逆に人間同士の不幸な行き違いを生み出すことになるという人類最大の自己矛盾は、聖書に「バベルの塔」というエピソードで暗示的に示されているように、太古の昔よりあまりにも周知の事実であろう。

例えば、「リンゴは美味しい」というありきたりな言葉を誰かに投げかけたとしよう。
このとき、この文をそのままの意にとり、
「ああ、この人はリンゴが好きなんだなあ」
「リンゴといってもいろんな品種があるけど、どれが好みなのかなあ」
などとぼんやりと想ったり、
「これはもしかして青森のリンゴ栽培農家か販売店の人間の工作なのか」
「リンゴの価値を擁護し、財務省に補助金増額を認めさせ、自らの影響力確保に努める農水省の狡猾なる策略だろうか」
などの直感的解釈にとどまるならまだしも、この文の「リンゴ」を何かの暗喩だと考え始めると妄想の深い森に迷い込んでしまうことになるだろう。

例えば、「リンゴは美味しいよ」と言われて、
「リンゴリンゴリンゴリンゴ・・・・リンごりんごりん五輪・・・。五輪は美味しい・・・。そうか、そうだよ、この人は恐らくスポーツ団体か広告代理店かマスメディアの人間で、オリンピックにより莫大な利益を得ている事を密かに誇るためにこんなことを言ったんだよ!!(AA略」
とか、ウヨサヨ二元論者が
「リンゴは赤い・・・。すなわち、アカは美味しい。そうだ、この人はバリバリのサヨクで、無垢な若者達にサヨクは正しいという印象操作を行おうとしているんだ!!」
と言ったり、
「リンゴはかじると血が出るもの・・・。つまり、流血を伴うもの、すなわち戦争は美味しい。これは戦争賛美のウヨ思想だ!!けしからん!!」
などと言ったりするのはあんまりだと思いますし、また
「リンゴは美味しい → 臨幸覇王死。
すなわち、古代の中国においては皇帝が遠方に行幸される際、その地の有力な豪族の中で特に反骨の相を持つ者を見せしめに殺したとされるが、これを当時の人々は「臨幸覇王死」と呼び恐れおののいたという。この言葉はいつしか日本に伝わり、いつまでもかの地の権力者の恐ろしさを伝えるため、かじると出血する果物のうち特に美味なるものを「臨幸」のちに「リンゴ」と呼ぶようになったということは、現代日本においては殆ど知られていない事実である。

民名書房刊 『古代中国政治史と日本本土への知られざる文化的影響』より抜粋

っていうことが言いたいのか?この暇人氏ね」

などとネタ扱いしてしまうような話はやっぱりあってはならないと思われます。


要するに、発言する人だけではなく、理解しようとする人も気をつけましょうという、当たり前のお話なのでした。ちなみに、このエントリにはなんの暗喩もありません。ええ、ええ。



注:「バベルの塔」の解釈など全て僕の勝手な解釈に過ぎません。m(__)m
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by reko_pietro_msx | 2005-02-12 17:05 | にちゃんねる
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