読解と推論とコンピュータ

Excite エキサイト : コンピュータニュース「読解と推論ができる人工知能」

中世のスコラ哲学による精神の暗黒時代は、デカルトの合理主義とベーコンの経験主義によりその歴史を閉じた。聖書とアリストテレスの科学にその究極の根拠を置くスコラ哲学は、より確実な「真理」を見出そうとする人々によって倒され、確実性をもつ論理的思考形式と実験により検証されうる事実が新たな知識の根拠となったのである。これは今日でも、特に実践的な知性の行使の場において、決定的な土壌となり続けている。

我々は、朝ミルクを飲んだら昼過ぎにお腹を下した、次の日も、またその次の日も同じようにミルクを飲んだらそうなった、というとき、無意識のうちに帰納法的に「私という特殊な一個の生体は、ミルクを飲むと必ずお腹をこわす」という結論を下す。このようなことは、他の動物にもしばしば見られる原始的な情報処理方法である。そして、人間の場合、なぜそうなるのかを、自分の体質を医者に見てもらえば医学的に(論理的に)説明してもらえるだろう。

ところが、コンピュータの「知能」というのは、このような知性の働きとははっきり異なっている。コンピュータは、結局のところ、1か0、onかoffしか区別しない。数字も文字も音楽も映像も、この2つの集積によって記述される。どのような深遠な観念であれ、くだらない日記であれ、うんこーという文字列さえ、コンピュータは平等に扱う。コンピュータはなにも理解しない。ただ処理するだけである。コンピュータは猫虐殺グロ画像に心を痛めることは無い。データが入力され、内部処理され、出力される間に、そのデータに関してなんらの価値判断や、我々のような心理的作用を伴うことがないのである。

もちろん、現在のコンピュータでも、ゆらぎ検索のようにあるデータに近い別のデータを検索したり呼び出したりはできる。しかし、「何らかの目的をもって主体的にある事実を認識し、ここからある種の結論を引き出す」ということはコンピュータにはできないように見える。コンピュータが人間と同等の知性をもつようになるには、我々の脳内で情報がどのように記憶され呼び出されるか、特に、なにかを感じ取った時、どのような作用によって別の観念が呼び出されるか、これらの事実や概念の間の関係性をどのように認識しているのか、等が解明されない限り、無理なのではないかと思う。



というようなことを、自分のノーパソから毎日のように帰納的に結論しております。
単なる道具と見れば、ものすごい有用な道具。
だけど、自分の足りない頭脳の代わりにはならない。。。 orz
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by reko_pietro_msx | 2005-02-03 20:37 | 雑感
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